【我が家のラグに寄り添って】50年の歳月を重ねた二人の午後のティータイム

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窓から差し込む柔らかな陽の光が、リビングに置かれた温かみのあるベージュのラグの上で静かに揺れている。この部屋で、私たち夫婦は毎日のようにお茶の時間を過ごしている。結婚して50年、二人で選んだこのラグは、私たちの人生の証人のように、いつも変わらない温もりで私たちを包み込んでくれる。

「お茶が入ったわよ」と妻の声が響く。今日も彼女は私の好きな煎茶を淹れてくれた。茶葉の香りが部屋いっぱいに広がり、心が落ち着くのを感じる。ラグの上に置かれた低めのテーブルには、季節の和菓子が添えられている。今日は桜餅だ。春の訪れを感じさせる淡いピンク色が、午後の光に照らされて優しく輝いている。

「最近、孫たちからまた写真が届いたのよ」と妻が言う。スマートフォンを手に取り、画面に映る孫たちの笑顔を見せてくれる。遠く離れて暮らす家族との繋がりも、このテクノロジーのおかげで途切れることはない。むしろ、日々の些細な出来事まで共有できる時代になったことを、私たちは密かに喜んでいる。

ラグの上で正座をする妻の横顔を見つめながら、若かった頃の彼女の姿を思い出す。結婚したての頃、このラグを買いに行った時の彼女の嬉しそうな表情。子どもたちが小さかった頃、このラグの上で遊び回っていた賑やかな日々。そして今、穏やかな時の流れの中で、二人でお茶を飲む静かな時間。

「覚えているかい?このラグを買った時のこと」と私が話を切り出すと、妻は優しく微笑んだ。「ええ、もちろんよ。あなたが『一生モノだから』って言って、少し高かったけど決めたのよね」。その通りだった。当時は決して余裕のある暮らしではなかったが、二人の新しい生活の象徴として、この上質なラグを選んだ。

時には言葉を交わさず、ただお茶を飲みながら窓の外を眺めることもある。庭に植えた木々の緑が風に揺れる様子を見つめながら、これまでの人生を振り返ることもある。苦労も喜びも、すべてが今の私たちを作り上げてきた。このラグの上で過ごす時間は、そんな思い出との対話の時間でもある。

「来週は、近所の山本さん夫婦が午後のお茶に来るって」と妻が言う。最近は近所の同年代の夫婦とも、よくお茶会を開くようになった。みんなで昔話に花を咲かせながら、今の暮らしの楽しみを分かち合う。このラグの上での語らいは、いつも温かな空気に包まれている。

私たちの暮らしは、決して派手ではない。しかし、このラグの上でお茶を飲みながら過ごす時間ほど、贅沢なものはないと思う。長年連れ添った二人だからこそ分かる、言葉にならない心地よさがここにはある。

「そろそろ夕暮れね」と妻が言う。確かに部屋の光が少しずつ柔らかくなってきている。でも私たちは急がない。まだお茶は温かく、ラグの感触も心地よい。この穏やかな時間が、少しずつ染まりゆく夕暮れとともに、静かに流れていく。

時には孫たちが遊びに来て、このラグの上で一緒に過ごすこともある。彼らの元気な声と笑顔が部屋中に響き渡る時、私たちは幸せを噛みしめる。世代を超えて、このラグが家族の思い出を紡いでいく。それは私たちにとって、かけがえのない宝物となっている。

「もう一杯お茶をいれましょうか?」と妻が立ち上がる。「ああ、お願いするよ」と私は答える。新しく入れられたお茶の香りが、また部屋に広がっていく。このラグの上での何気ない会話と、温かなお茶の時間。それは私たち老夫婦の日常であり、最も大切な時間となっている。

季節は移ろい、時は流れていく。でも、このラグの上で過ごす穏やかな時間は、いつまでも変わらない。それは私たちの人生そのものであり、これからも二人で紡いでいきたい大切な物語なのだ。

夕暮れが深まり、部屋の明かりをつける頃。私たちは今日も感謝の気持ちを胸に、このラグの上で静かな時を過ごしている。明日も、その次の日も、きっとこうして二人でお茶を飲みながら、穏やかな時間を重ねていくのだろう。それが私たちの幸せな日常なのだから。

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