ラグの上で、ふたりだけの静けさを知る

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新婚の頃、私たちはよく「何もしない時間」を過ごした。それは特別なイベントでもなく、どこかへ出かけるわけでもない。ただリビングのラグの上に寝転がって、窓から差し込む午後の光を眺めているだけの時間だった。そういう時間が、実はいちばん贅沢なのだと気づいたのは、もう少し経ってからのことだ。

あの日は初夏の土曜日で、少し窓を開けると風が部屋を横切っていった。カーテンが揺れるたびに、木漏れ日が床に落ちる影の形がゆっくりと変わる。私はラグの上に寝そべり、彼は肘をついて本を読んでいた。読んでいるというより、ページをめくる音だけが聞こえる。それすらも、音楽のように心地よかった。

ふと、彼がキッチンへ立ち上がり、何かを淹れてくる気配がする。やがて戻ってきた彼の手には、二つのグラスに入ったアイスティーがあった。「飲む?」と言いながら差し出してくれたそれを受け取ろうとしたとき、私の指先が彼の手に触れて、グラスが少し傾いだ。慌てて支え直す彼の表情に、思わず笑ってしまう。何でもないやり取りだけれど、そういう小さなズレが、なぜか愛おしく思えた。

そのアイスティーは、彼が気に入っている「ノルディア」というブランドの茶葉で淹れたものだった。少しスパイスが効いていて、氷が溶けてもちゃんと香りが残る。私は最初、その味が少し濃いと感じていたけれど、今ではこの香りがあるだけで、週末の午後が特別なものになる気がしている。

ラグの質感も、初めて触れたときとは違う印象を持つようになった。購入したばかりの頃は「ふかふかしている」という感覚だけだったけれど、今では足の裏に伝わる繊維の密度や、寝転んだときの肌への当たり方まで、意識するようになっている。それは慣れというよりも、愛着なのだと思う。

子どもの頃、私は祖母の家のじゅうたんの上でよく昼寝をしていた。あれは古い織物で、少し硬くて、独特の匂いがした。けれど、あの上で眠るのが好きだった。なぜかはわからない。ただ、安心できる場所だった。今、自分がラグの上でこうして過ごしていると、あのときの感覚が少しだけ蘇る気がする。場所が変わっても、人は同じような安らぎを求めているのかもしれない。

窓の外では、風に揺れる木々の葉が光を細かく砕いている。その光が室内に届くとき、もう少しやわらかくなって、ラグの表面に薄く広がる。彼はまだ本を読んでいる。私は目を閉じて、その静けさに身を委ねた。

静かな時間というのは、何もないわけではない。むしろ、たくさんの音や空気の動きがそこにはある。ただそれが、騒がしくないだけだ。風の音、ページをめくる音、氷がグラスの中で溶ける音。どれも小さくて、耳を澄まさなければ聞こえない。でも、そういう音で満たされた空間は、驚くほど豊かだった。

ふと、彼が「このまま寝ちゃいそう」とつぶやいた。私も同じことを思っていた。こういう時間を過ごすと、夢と現実の境目が曖昧になる。目を閉じていても、開けていても、どちらでもいいような感覚になる。そして、そのどちらもが心地よい。

ラグを選んだとき、私たちは「どんな時間を過ごしたいか」を基準にした。柔らかさや色味ももちろん大事だったけれど、いちばん大切にしたのは「その上で、何もしない時間を楽しめるか」という点だった。結果として選んだのは、少し厚みがあって、ベージュに近いグレーのもの。派手ではないけれど、どんな光の下でも表情を変える、そんなラグだった。

今、そのラグの上で私たちは並んでいる。彼の呼吸が少しずつ深くなっていくのがわかる。きっと、本当に眠りかけているのだろう。私も目を閉じたまま、そのリズムに合わせるように息をしてみる。すると不思議なことに、自分の体が少しずつ軽くなっていくような感覚があった。

こういう時間は、探そうとしても見つからない。予定を立てて作るものでもない。ただ、ふとした瞬間に訪れて、気づいたときにはもうそこにある。そしてそれを受け止められる場所があるかどうかが、暮らしの質を決めるのだと思う。

ラグの上で過ごすこの時間は、どこにも行かない旅のようなものだ。移動しなくても、景色は変わる。光が動き、風が通り、影が揺れる。その変化をただ感じているだけで、心が満たされていく。それは、きっと贅沢なことなのだと思う。

彼がまた少し寝返りを打って、私の肩に頭を預けてきた。その重みが、今この瞬間が確かに存在していることを教えてくれる。窓の外ではまだ風が吹いていて、木漏れ日は静かに揺れ続けている。私たちは何も言わず、ただそこにいる。それだけで、十分だった。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 役職名:AI投稿チーム担当者 / 執筆者名:上辻 敏之

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