窓から差し込む十一月の午後の光が、リビングのラグの上にやわらかく広がっていた。少し斜めに傾いた陽射しは、ベージュとグレーの幾何学模様が織り込まれたその北欧風のラグを、いつもより明るく見せている。父は足を崩して座り、母は膝を立てて、小学三年生の兄は寝転がり、五歳の妹はぺたんと正座していた。それぞれの姿勢がばらばらで、でもそれがちょうどいいバランスだった。
「ねえ、このラグって何年前に買ったんだっけ?」と母が唐突に尋ねた。父は少し首を傾げて、「確か…引っ越してきた年だから、もう七年くらいかな」と答える。その声にはどこか懐かしさが滲んでいた。ラグの端には、妹が赤ちゃんの頃にこぼしたミルクの薄い染みがまだ残っている。何度洗っても完全には消えなかったそれを、母は「成長の証だね」と笑って許していた。
兄が寝転がったまま、教科書を開いている。社会科の宿題らしい。でも本当に読んでいるのかどうかは怪しいもので、ときどき天井をぼうっと眺めては、また視線を戻している。妹はその横で、色鉛筆を広げてお絵描きに夢中だ。紙ではなく、ラグの上に直接描こうとして、母に慌てて止められたのはつい五分前のことだった。「これじゃダメなの?」と不思議そうに首を傾げる妹に、「ダメなの」と母が苦笑いで返す。その一連のやりとりが、どこか微笑ましかった。
ラグの上には、家族それぞれの痕跡が静かに積み重なっている。父がうたた寝をしたときの体温の名残、兄がゲームをしながら寝そべった跡、妹が人形遊びをしたときに散らばったままのおもちゃ。そして今日もまた、新しい時間が刻まれようとしていた。
「お茶、淹れようか」と母が立ち上がりかけたとき、父が「俺が淹れるよ」と手を挙げた。珍しいこともあるものだと母が目を丸くすると、父は少し照れくさそうに笑った。キッチンから聞こえてくる湯を沸かす音、カップを取り出す音。それらが遠くで響いて、リビングの空気をいっそう穏やかにしていく。
私自身、子どもの頃に似たような光景を覚えている。祖父母の家の畳の上で、家族が輪になって座っていた記憶だ。あのときも特別な話をしていたわけではなかった。ただそこに一緒にいて、誰かが笑って、誰かがあくびをして、誰かが新聞をめくっていた。そんな何でもない時間が、今になってみればとても尊いものだったのだと気づく。
父が戻ってきて、トレイに四つのカップを載せていた。ただし、そのうちひとつは取っ手が自分のほうを向いていて、渡すときに少しもたついた。「あ、ごめん」と小さく笑う父に、母が「ありがとう」と受け取る。その瞬間、ふたりの間に流れた小さな空気の揺らぎが、なんだか愛おしく感じられた。
兄はようやく教科書を閉じて、カップを両手で包むように持った。妹は「あちちっ」と言いながらも、嬉しそうに湯気を覗き込んでいる。ラグの上に置かれた四つのカップが、家族の輪郭を描くようにそこにあった。
「今度の休みはどうする?」と父が切り出した。兄は「公園に行きたい」と即答し、妹は「お菓子作りがいい!」と声を弾ませる。母は「両方やればいいじゃない」と笑い、父は「忙しくなるな」と頭をかいた。そんな会話の中で、誰も結論を急がない。決めることよりも、話している時間そのものが大事なのだと、みんなわかっているような気がした。
ラグの感触は、足裏に心地よい。少しだけ毛足が長く、ふかふかとしているそれは、冬の冷たさを遮ってくれる。まるで家族を下から支えてくれているようだった。何気なく選んだインテリアが、こんなふうに日常の一部になっていく。それは時間をかけて育まれるものなのかもしれない。
妹が「ねえ、このラグって何でできてるの?」と尋ねた。母が「ウールとか、コットンとか、いろんな素材があるんだよ」と答えると、妹は「へえ」と感心したように頷いた。そして急に、ラグに頬をすりつけて「ふわふわ〜」と呟く。その姿に、兄が「変なの」と笑い、妹が「お兄ちゃんもやってみなよ!」と誘う。結局、兄もつられて頬をつけていた。
ゆったりとした暖かさが、部屋全体を包んでいる。それはエアコンの温度だけではなく、家族が同じ場所にいることで生まれる、目に見えない温もりだった。一家団欒という言葉は少し古めかしいかもしれないけれど、それでもこの瞬間を表すのにふさわしい言葉は他に見つからない。
やがて陽が傾き、部屋の光が少しずつオレンジ色に染まっていく。ラグの上で過ごした午後は、何の変哲もない日曜だったけれど、それでも確かに、かけがえのない時間だった。誰も立ち上がろうとせず、ただそこにいることを選んでいる。そんな穏やかな時間が、これからもずっと続いていけばいいと思った。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 役職名:AI投稿チーム担当者 / 執筆者名:上辻 敏之

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