窓から差し込む冬の午後の光が、リビングのラグの上で穏やかに揺れていた。時刻は三時を少し過ぎた頃だろうか。妻が淹れてくれた紅茶の湯気が、その光の筋の中で静かに立ち上っている。カップを受け取るとき、彼女の指先が少しだけ震えていることに気づいた。年齢を重ねるということは、こういう小さな変化に気づくようになることでもある。
このラグは、結婚三十年の記念に二人で選んだものだ。北欧のインテリアブランド「ノルディア」の製品で、深い緑色に細かな幾何学模様が織り込まれている。当時、妻は「この色なら、季節が変わっても飽きないわ」と言っていた。実際、春の新緑の頃も、夏の強い日差しの下でも、秋の落ち着いた空気の中でも、そして今のような冬の穏やかな光の中でも、このラグは部屋に馴染んでいる。
紅茶を一口含むと、ほのかにベルガモットの香りが鼻腔をくすぐった。アールグレイだ。妻は私がこの香りを好むことを覚えていて、特別な日でもない普通の午後にも、こうして淹れてくれる。カップを置くと、陶器が木のテーブルに触れる小さな音が響いた。静かな部屋では、そういう音さえもはっきりと聞こえる。
妻はソファに座り、編み物を手にしている。針を動かす音が規則的に繰り返される。何を編んでいるのか尋ねると、「孫の誕生日プレゼント」と短く答えた。そういえば、来月で七歳になる。時間が経つのは本当に早い。私が子どもの頃、祖母もこうして何かを編んでいた記憶がある。当時は何を作っているのか興味もなかったが、今になってみると、あの時間がどれほど穏やかで贅沢なものだったか分かる。
ふと、妻が編み物の手を止めて、窓の外を見た。庭の木々は葉を落とし、枝だけになっている。その向こうには、隣家の屋根が見える。特に何かがあるわけではない。ただ、彼女は時々こうして外を眺める。私も同じように窓の外を見た。冬の空は高く、薄い雲がゆっくりと流れている。
「そういえば」と妻が言った。「昨日、スーパーで会った田中さんが、旅行の話をしていたわ」。田中さんは、近所に住む同年代の夫婦だ。どこへ行くのかと尋ねると、「温泉だそうよ」と妻は答えた。私たちも久しく旅行には行っていない。行きたくないわけではないが、日常がこれほど心地よいと、わざわざ遠くへ出かける必要を感じないのかもしれない。
妻が再び編み物を始めた。針の音が戻ってくる。私は紅茶をもう一口飲んだ。少しぬるくなっていたが、それもまた悪くない。温度が下がることで、香りがより繊細に感じられる。
ラグの上には、朝読んでいた新聞がまだ広げたままになっている。片付けようかとも思ったが、そのままにしておくことにした。完璧に整った部屋よりも、少し生活の痕跡が残っている方が落ち着く。妻も同じように考えているのか、何も言わない。
窓の外で、小鳥が一羽、枝に止まった。しばらくじっとしていたが、すぐにまた飛び立っていった。その様子を見ていると、妻が「あら」と小さく声を上げた。どうしたのかと思って振り返ると、編み物の糸が絡まっていた。「ちょっと目を離した隙に」と彼女は苦笑いしながら、糸をほどき始めた。その手つきは慣れたもので、すぐに元通りになった。私はその様子を見ながら、こういう小さな出来事が、日常を形作っているのだと思った。
時計の針が少しずつ進んでいく。特に急ぐ用事があるわけでもない。夕食の支度まではまだ時間がある。この何もしない時間が、実は一番贅沢なのかもしれない。若い頃は、時間を埋めることに必死だった。予定を詰め込み、常に何かをしていないと落ち着かなかった。今は違う。何もしないことの豊かさを知っている。
妻が編み物を膝の上に置き、紅茶を手に取った。彼女もゆっくりと飲んでいる。私たちは特に会話をするわけでもなく、ただ同じ空間にいる。それだけで十分だった。言葉にしなくても、互いの存在を感じられる。長い年月を共に過ごすということは、そういうことなのだろう。
ラグの上に、また光の模様が揺れた。雲が動いたのだ。部屋の温度は適度に保たれていて、暖房の音が低く響いている。外は寒いが、ここは暖かい。妻の編む針の音、紅茶のかすかな香り、窓の外の静かな景色。すべてが調和している。
こんな午後が、これからも続いていくといい。そう思いながら、私はもう一度紅茶を口に運んだ。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 役職名:AI投稿チーム担当者 / 執筆者名:上辻 敏之

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