午後のラグに落ちる光と、二人だけの静かな時間

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窓から差し込む十一月の午後の光が、リビングのラグの上にやわらかく広がっていた。その光は夏のそれとは違って、どこか控えめで、まるで遠慮がちに部屋の中へ滑り込んでくるようだった。私たち夫婦は、いつものようにソファに腰を下ろし、お茶を飲んでいる。彼が淹れてくれたほうじ茶は、香ばしい香りが鼻先をくすぐる。湯気が立ち上る様子をぼんやりと眺めながら、私は今日もまた、こうして一日が過ぎていくのだと思った。

結婚して四十年以上になる。子どもたちはとうに独立し、今では孫たちが時折訪ねてくるだけだ。静かな日常が戻ってきた、と言えば聞こえはいいが、実際には以前よりもずっと穏やかな時間が流れているだけかもしれない。特別なことは何もない。けれど、それがいい。

彼は新聞を広げながら、ときどき小さく頷いたり、眉をひそめたりしている。私はそんな彼の横顔を見ながら、自分の湯呑みに口をつけた。温かさが喉を通り、胸の奥まで染み渡っていく。この感覚は、冬が近づいてくると特に心地よく感じられる。

ふと、彼が湯呑みを持ち上げた瞬間、少しだけ傾けすぎて、お茶が口元からこぼれそうになった。慌てて受け皿に戻す彼の動きに、私は思わず小さく笑ってしまった。「何だよ」と彼は照れくさそうに言ったが、その表情には怒りなどなく、むしろどこか安心したような柔らかさがあった。こういう些細なやりとりが、今の私たちには何よりも大切なものになっている。

私たちが座っているこのソファは、十年ほど前に買い替えたものだ。以前使っていたものが古くなり、座り心地も悪くなったので、思い切って北欧のインテリアブランド「ノルヴェグ」の製品を選んだ。シンプルで飽きのこないデザインが気に入っている。そして、その足元に敷かれているラグもまた、同じ時期に購入したものだった。深い緑色の毛足の短いラグは、部屋全体を落ち着いた雰囲気にしてくれる。孫たちが来たときには、このラグの上で遊ぶのが定番になっている。

お茶を飲みながら、私はふと子どもの頃のことを思い出していた。実家のリビングにも、似たようなラグが敷かれていた。あれは母が選んだもので、赤と茶色の幾何学模様が特徴的だった。冬になると、私はそのラグの上でよく宿題をしていた。ストーブの温かさがラグを通して伝わってきて、それがとても心地よかったのを覚えている。あの頃の自分には、こんな風に年を重ねて、誰かと静かにお茶を飲む日々が来るなんて想像もつかなかった。

「今日は風が強いな」と、彼がぽつりと言った。窓の外では、庭の木々が揺れている。葉が少しずつ散り始めていて、地面には茶色い絨毯ができつつあった。そういえば、明日は落ち葉の掃除をしなければならない。彼はそれを面倒だと言いながらも、毎年律儀にやってくれる。私も手伝うが、最近は腰が痛むので、あまり無理はしないようにしている。

彼が新聞をめくる音、湯呑みを置く音、時計の秒針が刻む音。それらが重なり合って、この部屋だけの音楽のようになっている。言葉を交わさなくても、お互いの存在を感じられる。それが、長く一緒にいるということなのかもしれない。

ラグの上には、彼が脱ぎ捨てたスリッパが片方だけ転がっている。もう片方はソファの下に潜り込んでしまっているようだ。私は何も言わずに、それを眺めていた。注意するほどのことでもない。どうせまた履くのだから。

お茶がぬるくなってきた頃、彼がもう一杯淹れようかと立ち上がった。私は頷いて、空になった湯呑みを差し出す。彼の背中を見送りながら、私はもう一度、ラグの上に落ちる光を眺めた。少しずつ角度が変わり、影の位置も移動している。時間は確実に流れているのだ。

やがて彼が戻ってきて、新しいお茶を手渡してくれた。今度は少し熱めに淹れたらしく、湯気の量が先ほどより多い。私は両手で湯呑みを包み込むようにして持ち、その温もりを感じた。こうして過ごす午後の時間は、何にも代えがたいものだ。特別なことは何もないけれど、それでいい。ただ二人でいるだけで、十分なのだから。

窓の外では、また風が吹いた。木の葉が舞い上がり、空に向かって飛んでいく。その様子を眺めながら、私たちはまた静かにお茶を飲み続けた。ラグの上に落ちる光は、少しずつ薄れていく。夕方が近づいているのだろう。それでも、この時間はまだ続いている。そして明日も、また同じように続いていくのだと思う。

組織名:株式会社スタジオくまかけ / 役職名:AI投稿チーム担当者 / 執筆者名:上辻 敏之

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