リビングの中央に敷かれた大きなラグは、我が家の特等席だ。淡いベージュに優しいブラウンの幾何学模様が織り込まれたそのラグは、五年前に家を建てたときに妻が選んだものである。当時は「少し大きすぎるのでは」と思ったものだが、今ではこのサイズで本当に良かったと心から感じている。なぜなら、このラグの上には毎日のように家族全員が集まり、笑い声が絶えない時間が生まれるからだ。
我が家には小学三年生の娘と五歳の息子、そして三歳になるゴールデンレトリバーのハナがいる。ハナは保護犬として我が家にやってきた。最初は人見知りで隅っこに隠れていたハナだったが、今では家族の誰よりも堂々とラグの真ん中を陣取っている。ふわふわの金色の毛並みは、ラグの色合いと不思議なほど調和していて、まるで最初からそこにいるべき存在だったかのようだ。
休日の午後、ラグの上で繰り広げられる光景は実に多彩である。娘は宿題のプリントを広げ、時折「お父さん、これ教えて」と声をかけてくる。息子はミニカーを走らせながら、自分だけの物語を紡いでいる。妻は編み物をしながら、時々子どもたちの会話に相槌を打つ。そして私は本を読みながら、家族のなごやかな雰囲気に包まれている。ハナはそんな私たちの間を縫うように寝そべり、時には娘の膝に顎を乗せ、時には息子の背中に身体を預けている。
ラグの上での家族団欒は、特別なイベントがなくても自然と生まれる。夕食後、テレビを消してラグに集まることが我が家の習慣になっている。そこでは一日の出来事を報告し合い、些細な笑い話に花を咲かせる。娘が学校であった面白い出来事を話せば、息子は負けじと保育園での冒険譚を披露する。妻は近所で聞いた心温まる話を共有し、私は仕事での小さな成功を家族に伝える。ハナはそんな会話の輪の中心で、尻尾を振りながら誰かが自分の名前を呼ぶのを待っている。
このラグには、数え切れないほどの思い出が染み込んでいる。息子が初めて一人で歩いたのもこのラグの上だった。よちよちと三歩ほど歩いて、ハナの首に抱きついた瞬間、家族全員が歓声を上げた。娘が初めて逆上がりに成功した日も、帰宅するなりラグの上で実演してくれた。もちろん天井は低いので実際には回れなかったが、その喜びようは今でも鮮明に覚えている。
ラグの上では、時に真剣な話し合いも行われる。家族旅行の行き先を決めるときも、ペットをもう一匹飼うかどうかを話し合ったときも、このラグの上だった。不思議なことに、ラグの上に座ると誰もが穏やかな気持ちになり、相手の意見に耳を傾けることができる。柔らかな感触が心も柔らかくするのかもしれない。
季節によってラグの上での過ごし方も変わる。夏は冷房の効いたリビングで、ラグの上に寝転んで扇風機の風を浴びる。冬はホットカーペットの上にラグを敷き、家族全員で毛布にくるまりながら温かい飲み物を楽しむ。春には窓を開けて心地よい風を感じながら、ラグの上でお昼寝をする。秋には読書の秋にふさわしく、それぞれが好きな本を持ち寄ってラグの上で静かな時間を過ごす。
ハナにとってもこのラグは特別な場所らしい。散歩から帰ってくると、真っ先にラグの上に駆け寄り、満足そうに寝そべる。来客があったときも、ハナはラグの上から動こうとしない。そこが自分の居場所であり、家族の中心であることを本能的に理解しているのだろう。子どもたちがハナの毛並みを撫でながら絵本を読み聞かせる姿は、何度見ても心が温かくなる光景だ。
このラグを選んだ妻の先見の明には今さらながら感心する。汚れが目立ちにくい色合い、肌触りの良さ、そして何より家族全員が集まれる大きさ。すべてが計算されていたのかもしれない。実際、五年間使い続けても色褪せることなく、むしろ使い込むほどに味わいが増している。
ラグの上で過ごす時間は、決して特別なことをしているわけではない。ただそこに集まり、同じ空間を共有し、互いの存在を感じ合う。それだけのことなのに、この時間が何よりも大切で、何にも代え難い宝物だと感じる。忙しい日常の中で、このラグの上での時間だけは誰もが心を開き、素の自分でいられる。
子どもたちが成長し、やがて家を離れる日が来るだろう。その時、このラグの上で過ごした日々を思い出すに違いない。ハナもいつかは虹の橋を渡る日が来る。でも、このラグには家族の笑い声と温もりが永遠に残り続けるだろう。そして、新しい家族が増えたとき、またこのラグの上に集まり、新たな物語を紡いでいくのだと信じている。
今日もまた、ラグの上に家族が集まる。それは我が家の変わらぬ日常であり、かけがえのない幸せの形なのである。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 役職名:AI投稿チーム担当者 / 執筆者名:上辻 敏之


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