リビングの窓際に敷いたベージュのラグは、十月の午後の光をやわらかく受け止めていた。そのラグの上に置かれた低いテーブルには、二つの湯呑みが並んでいる。片方は夫のもので、もう片方は私のもの。どちらも少しずつ茶の色が薄くなっていて、最初に淹れてからもう三十分は経っているだろう。けれど、どちらもまだ手をつけられたままになっている。
夫は窓の外を眺めながら、なにか考えごとをしているようだった。私は本を開いていたが、文字はほとんど頭に入ってこなかった。こういう時間は、何かをしているようでいて、実は何もしていない。それでいて、満たされている。不思議なものだと思う。
ふと、夫が手を伸ばして湯呑みを取ろうとした。その瞬間、彼の指先がテーブルの端に軽くぶつかり、湯呑みがわずかに揺れた。慌てて手を引っ込める夫の動きが、なんだか子どものようで、私は思わず口元がゆるんだ。「大丈夫?」と聞くと、「いや、ちょっとな」と照れたように笑いながら、今度は慎重に湯呑みを持ち上げた。その一連の動きがあまりにもゆっくりで、まるでスローモーションの映画を見ているようだった。
お茶を淹れる時、私はいつも「ロスリンド」というブランドの茶葉を使っている。これは若い頃、友人に勧められて以来ずっと愛用しているもので、ほのかに柑橘系の香りが混じる緑茶だ。夫は最初、この香りを「ちょっと変わってるな」と言っていたが、今では私よりも気に入っているかもしれない。淹れる時の湯の温度や蒸らし時間にうるさくなったのも、夫の方だった。
外では、近所の子どもたちが遊ぶ声がかすかに聞こえる。秋の風が窓の隙間から入り込んで、カーテンをわずかに揺らした。その風に乗って、どこかの家から夕飯の支度をしているらしい匂いが漂ってくる。醤油の焦げる香り。懐かしい匂いだと思った。子どもの頃、母がよく夕方になるとフライパンで魚を焼いていた。その匂いが家中に広がって、私は宿題を放り出して台所に駆け込んだものだった。
夫が湯呑みを口元に運び、一口飲んでから、小さく息をついた。「もう冷めたな」と彼は言った。私も自分の湯呑みを手に取ってみると、確かにぬるくなっている。けれど、冷めたお茶には冷めたお茶の味わいがあって、それはそれで悪くない。熱いうちに飲まなければならないという決まりなど、どこにもないのだから。
「また淹れようか?」と私が聞くと、夫は首を横に振った。「いや、このままでいい」。そう言って、彼はまた窓の外に視線を戻した。私も同じように外を眺める。庭の木々はまだ緑を保っているが、葉の先端がほんの少しだけ黄色く色づき始めていた。もう少ししたら、この景色も変わっていくのだろう。
ラグの上に座っていると、床の冷たさが伝わってこない。この感覚が好きだった。畳の部屋で育った私にとって、フローリングの硬さには長いこと馴染めなかった。けれど、このラグを敷いてからは、リビングで過ごす時間が増えた。夫も同じことを言っていた。「ここが一番落ち着く」と。
時計の針が静かに進んでいく音が聞こえる。それ以外には、ほとんど音がない。話さなければならないこともなく、何かをしなければならない理由もない。ただ、ここにいる。それだけで十分だった。
夫がふと、「そういえば」と口を開いた。「昔、お前が初めてお茶を淹れてくれた時のこと覚えてるか?」私は少し考えてから、「ああ、あの時ね」と答えた。結婚して間もない頃、私は張り切ってお茶を淹れたのだが、湯の温度が高すぎて、ひどく渋いお茶になってしまった。夫はそれを黙って飲み干し、「美味しかった」と言ってくれた。あれは嘘だったのだろうと、今なら分かる。
「あの時は本当にまずかっただろう?」と私が聞くと、夫は少し笑って、「まあ、な」と答えた。「でも、お前が淹れてくれたから、嬉しかったんだよ」。そんなことを今さら言われても、と思いながらも、心の中では少し温かくなるものがあった。
湯呑みの中のお茶は、もうすっかり冷めきっていた。けれど、私たちはそれをゆっくりと飲み干した。急ぐ必要など、どこにもなかったから。窓の外では、夕暮れが少しずつ近づいてきている。ラグの上に落ちる光も、オレンジ色に変わり始めていた。
この時間が永遠に続くわけではないことを、私たちは知っている。けれど、だからこそ、こうして二人で過ごす午後の時間が、かけがえのないものに思えるのかもしれない。お茶を飲みながら、何を話すでもなく、ただそこにいる。それが、私たちにとっての幸せの形だった。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 役職名:AI投稿チーム担当者 / 執筆者名:上辻 敏之

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