十二月の午後三時を過ぎると、リビングの西側から斜めに陽が差し込んで、床に敷いたラグの毛足が金色に輝く。その光の帯の上で、家族のゴールデンレトリバーであるマロンが、いつものように丸くなって眠っている。マロンの寝息は規則正しく、ときおり鼻先がぴくりと動くのは、夢の中で何かを追いかけているからかもしれない。
子どもたちが学校から帰ってくると、玄関のドアが開く音と同時に、マロンの耳がぴんと立つ。それでも体は動かさず、目だけをうっすらと開けて様子をうかがっている。長男が「ただいまー」と大きな声を出すと、ようやくのそりと立ち上がり、尻尾を振りながら玄関へ向かっていく。その後ろ姿は、どこか義務感に満ちているようで少しおかしい。
ラグの上には、家族それぞれの定位置がある。父親はソファの端に座り、新聞を広げながら片手でコーヒーカップを持つ。母親はその隣で編み物をしていることが多く、毛糸玉が転がらないようラグの縁に置いてある。子どもたちは床に直接座り込み、宿題を広げたり、ゲームをしたり、ときには何をするでもなくただ寝転がっている。マロンはその誰かの足元に必ず寄り添っていて、撫でられるのを待っている。
このラグを選んだのは、三年前の春だった。家族で訪れた「ノルディア・ホーム」というインテリアショップで、母親が「これ、いいんじゃない?」と指差したのがきっかけだ。当時、長女はまだ小学生で、ラグの上でくるくると回りながら「ふわふわする!」と喜んでいた。父親は値札を見て少し渋い顔をしたが、結局その日のうちに購入を決めた。配送されてきたラグをリビングに敷いた瞬間、部屋の空気が少し柔らかくなった気がしたのを覚えている。
ラグの素材は天然ウールで、踏むとわずかに沈み込むような弾力がある。夏場は少し暑苦しく感じることもあったが、冬になるとその温もりがありがたい。床暖房の熱をほどよく保ってくれるので、素足で歩いてもひやりとしない。マロンもそれを知っているのか、冬場は特にこのラグから離れようとしない。
ある日の夕方、母親がキッチンで夕食の支度をしているとき、ふと振り返るとラグの上で家族全員が集まっていた。父親は相変わらず新聞を読んでいたが、その膝には次女が寄りかかっている。長男はタブレットで何かを調べながら、長女に画面を見せて説明していた。そしてマロンは、その真ん中で仰向けになり、お腹を出して完全にリラックスしていた。母親はその光景を見て、鍋の火を少し弱めた。急いで料理を仕上げる必要はないと思ったからだ。
ラグには、家族の痕跡が少しずつ刻まれている。端のほうには、次女がこぼしたオレンジジュースのうっすらとしたシミがある。中央付近には、マロンが子犬の頃に噛んでしまった小さなほつれがある。そのほつれを見つけたとき、母親は少しため息をついたが、父親は「味が出てきたな」と笑っていた。そのとき母親は「味じゃなくて汚れでしょ」と返したが、その声には怒りよりも諦めが混じっていた。
子どもの頃、私の実家にもリビングに大きなラグが敷いてあった。あれは祖母が選んだもので、深い赤色をしていた。冬の夜、家族でこたつを囲むとき、そのラグの上に座布団を並べて、みんなで鍋を囲んだ。祖母はいつも「ラグが汚れるから気をつけなさい」と言いながらも、こぼれた汁をすぐに拭いてくれた。あのラグの感触と、鍋から立ち上る湯気の匂いは、今でも冬になると思い出す。
今、自分が親になり、同じようにラグのある生活をしていると、あの頃の祖母の気持ちが少しわかる気がする。ラグは単なる敷物ではなく、家族が集まる場所の象徴なのだ。汚れることを恐れていては、誰もそこに座ろうとしなくなる。多少のシミやほつれがあっても、それは家族が確かにそこで過ごした証なのだと思う。
夕食の時間が近づくと、母親が「ご飯だよ」と声をかける。すると、ラグの上でそれぞれ好きなことをしていた家族が、ゆっくりと立ち上がり始める。マロンだけは最後まで動かず、誰かが「マロン、邪魔」と言ってようやく移動する。その動きはいつも名残惜しそうで、数歩進んでは振り返る。
食卓に着いても、窓越しにラグが見える。夕暮れの光が弱まり、部屋の照明だけが頼りになる時間帯。ラグの色は少し沈んで見えるが、それでもそこには確かな温もりが残っている。食事が終われば、また誰かがあのラグの上に戻っていくのだろう。
ラグに集う時間は、特別な何かがあるわけではない。ただそこに座り、それぞれが好きなことをしているだけだ。けれども、その何気ない時間こそが、家族の幸せなのかもしれない。マロンの寝息と、編み物の針の音と、ページをめくる音が重なり合う。そんな穏やかな時間が、これからも続いていくことを願っている。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 役職名:AI投稿チーム担当者 / 執筆者名:上辻 敏之


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