十月の半ばを過ぎた日曜日の午後、リビングに敷いたばかりのラグの上には、いつの間にか五人分の靴下と、空になったコーヒーカップが転がっていた。窓から差し込む木漏れ日が、ベージュとグレーの織り柄に細かな影を落としている。その光の揺らぎがあまりに心地よくて、誰もがつい寝転がってしまう。そんな午後だった。
友人を呼んで集まるときに、わたしはいつもテーブルの配置に悩む。椅子の数が足りなかったり、座る位置によって距離感が変わったりするからだ。でも今日は違った。ラグを敷いたことで、自然と床に座る空気が生まれた。誰かが背中を壁に預け、誰かが膝を立て、誰かがクッションを抱えている。それぞれが好きな姿勢で、けれど不思議と同じ空気を吸っている感じがした。
「このラグ、どこの?」と聞かれて、わたしは少し得意げに答えた。「ストゥーラっていうブランド。北欧系のやつ」実際には、そこまで有名なメーカーではないかもしれない。でも肌触りと色合いに一目惚れして、少し背伸びして買ったものだった。友人はそのラグの端を指でなぞりながら、「いいね、落ち着く」とだけ言った。その短い言葉が、妙に嬉しかった。
話題は、仕事のこと、最近観た映画のこと、そしていつしか「これから何をしたいか」という話に移っていった。誰かが「三十代のうちに一度は海外で暮らしてみたい」と言い、別の誰かが「カフェを開きたい」と笑いながら口にする。それは夢というよりも、まだ形のない憧れのようなもので、語る声にはどこか照れが混じっていた。でもその照れこそが、本気の証だとわたしは思う。
ふと、隣に座っていた友人が小さく欠伸をした。その瞬間、彼女が手にしていたマグカップがわずかに傾き、わたしは反射的に手を伸ばしかけた。けれど彼女はすぐに持ち直して、「あ、危ない」と笑った。何事もなかったように会話は続いたが、わたしの中では一瞬だけ、映画のスローモーションのように時間が引き伸ばされた気がした。ラグに珈琲をこぼされたらどうしようという心配と、それでもまあいいかという諦めが、一瞬で交錯した。
子どもの頃、祖母の家には古い絨毯が敷かれていた。色褪せた赤と紺の幾何学模様で、どこか異国の香りがした。わたしはその上で昼寝をするのが好きだった。畳とも板の間とも違う、柔らかくて少しだけひんやりする感触。あの感覚を、大人になった今、自分の部屋で再現しようとしているのかもしれない。
語らいの中で、誰かが「静かだね」とつぶやいた。たしかに、笑い声や話し声はあるのに、騒がしくはない。それは音量の問題ではなく、空気の質の話だった。ラグが音を吸い込んでいるのか、それとも床に座ることで自然と声のトーンが落ち着くのか。理由は分からないけれど、この柔らかな静けさが、わたしたちの言葉をより深いところへ届けている気がした。
誰かが持ってきたレモンケーキを切り分けながら、また別の友人が言った。「こういう時間、贅沢だよね」その言葉に、全員が頷いた。贅沢というのは、高価なものを手に入れることではなく、こうして何でもない午後を誰かと共有できることなのだと、改めて思った。ラグの上で膝を抱えながら、わたしは窓の外に揺れる木々の影を眺めていた。
話はまた未来のことに戻った。誰かが「五年後にはこうなっていたい」と語り、誰かが「でも何が起こるか分からないよね」と笑う。そのどちらも正しくて、どちらも希望に満ちていた。夢を語ることは、未来を信じることだ。それがどんなに曖昧で、どんなに不確かでも、口にすることで少しだけ現実に近づく。
やがて日が傾き始め、木漏れ日の角度が変わった。ラグの色も、少しずつオレンジ色に染まっていく。誰も帰ろうとはしなかった。それは居心地の良さというよりも、この時間がもう少しだけ続いてほしいという、無言の願いだったのかもしれない。
ラグを敷くという小さな選択が、こんなふうに人を集め、言葉を生み、静かな豊かさを運んでくるとは思わなかった。それはただの敷物ではなく、時間を受け止める器のようなものだった。友人たちが帰ったあと、わたしは一人でそのラグの上に寝転がってみた。まだ誰かの温もりが残っている気がして、少しだけ笑みがこぼれた。こういう時間を、またつくりたい。そう思いながら、わたしは天井を見上げていた。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 役職名:AI投稿チーム担当者 / 執筆者名:上辻 敏之


コメント