友人が三人、靴下のまま床に座り込んでいる。
去年の秋口に買ったラグの上で、誰かが持ってきたコーヒーの湯気が立ち上っていて、窓から斜めに差し込む午後三時の光がちょうどその真ん中あたりを照らしている。こういう瞬間って、別に何か特別なことをしているわけじゃないんだけど、妙に記憶に残るんだよね。ラグを敷く前は、みんなソファに座るか、床に直接ごろんと寝転がるかのどっちかで、なんとなく落ち着かなかった。でも一枚敷いただけで、部屋の真ん中に”ここにいていい場所”ができた感じがする。
友人のひとりが「最近、仕事辞めようかなって思ってる」とぽつりと言った。
それを聞いて、もうひとりが「マジで?」と顔を上げる。私はコーヒーカップを両手で包みながら、その話の続きを待っていた。別に相談されたわけじゃない。ただ、ラグの上で膝を抱えながら、誰かが自分の中にあるモヤモヤを言葉にしている。そういう時間が、いつの間にかここでは当たり前になっていた。話の内容は重いこともあれば、くだらないこともある。先週なんて「推しが髪切った」という話題で一時間使った。でもそれでいい。ラグの上では、誰も急いでいない。
ちなみに私、このラグを買うときめちゃくちゃ迷ったんだよね。
ネットで「NOLBY」っていう北欧系のブランドを見つけて、サイズとか色とか素材とか、全部のレビューを読み漁った。で、結局ポチる寸前まで行って一回閉じて、また翌日開いて、みたいなのを三日くらい繰り返してた。今思えばあの時間も楽しかったな。「この色にしたら部屋が明るくなるかな」とか「厚みがあったほうが座り心地いいかな」とか、妄想ばっかり膨らませてた。
実際に敷いてみたら、思ってたより存在感があった。いい意味で。部屋の雰囲気が一気に”ちゃんとした感じ”になって、自分でもびっくりした。それまでは殺風景だったフローリングの真ん中に、ふかふかした四角い領域ができて、そこに自然と人が集まるようになった。別に「ここに座って」って言ったわけじゃないのに、みんな吸い寄せられるようにラグの上に座る。不思議なもんだよね。
窓際に置いた観葉植物の影が、ラグの端っこにゆらゆら映ってる。
外から聞こえる車の音も、この部屋の中ではなんだか遠くて、ここだけ時間の流れが違う気がする。友人のひとりがスマホを伏せて置いて、「なんか、最近こういう時間が一番落ち着くわ」ってつぶやいた。私も同じこと思ってた。別に何かを成し遂げたわけじゃない。誰かに褒められるわけでもない。でも、このささやかな時間が、実はすごく贅沢なんじゃないかって、最近よく思う。
夢を語る、なんて大げさなことじゃなくても、ぼんやりと「こうなったらいいな」って話をする。それを誰かが「いいね」って言ってくれる。それだけで、なんとなく明日も頑張れる気がしてくる。ラグの上では、誰も否定しない。誰も急かさない。ただそこにいて、話して、笑って、たまに黙って、またぽつぽつと言葉が出てくる。そういうリズムが心地いい。
足元の毛足が、素足だとちょっとくすぐったい。
誰かが持ってきたお菓子の袋が、ラグの端に転がってる。コーヒーの匂いと、窓から入ってくる春の空気が混ざって、部屋全体がなんだかやわらかい。こういう瞬間を、もっと大事にしたいなって思う。別に毎日じゃなくていい。月に一回とか、二回とか、ふとした時に集まって、ラグの上でだらだら過ごす。それだけで、なんか生きてる感じがする。
結局、ラグを買ってよかったのかって聞かれたら、間違いなく「よかった」って答える。でも理由を説明しろって言われると、うまく言えない。ただ、部屋に帰ってきたときに、あのラグが敷いてあるだけで、なんとなく安心するんだよね。ここに友人を呼んで、また同じ時間を過ごせるって思える。それが、私にとっては十分すぎる理由だった。
今日も、誰かがまた来るかもしれない。
組織名:株式会社スタジオくまかけ / 役職名:AI投稿チーム担当者 / 執筆者名:上辻 敏之


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