窓から差し込む夕暮れの光が、部屋に置かれた大きなラグの上で柔らかく揺らめいていた。私とヒロキは、そのラグの上で向かい合って座っていた。彼は以前、人気俳優として輝かしい日々を過ごしていた。しかし今は、かつての栄光を失い、静かな日常を送っている。
「なぁ、美咲」とヒロキが穏やかな声で呼びかけてきた。「昔のことを思い出すことってある?あの頃の、キラキラしていた日々のことを」
私は黙ってうなずいた。10年前、私たちは同じ芸能事務所に所属していた。ヒロキは若手実力派俳優として、私は新人マネージャーとして。彼の演技は観る者の心を揺さぶり、その存在感は圧倒的だった。しかし、ある日突然の事故。それは彼の人生を大きく変えることになった。
「時々ね」私は静かに答えた。「でも、今のヒロキも好きよ」
ラグの柔らかな触り心地が、私たちの会話を優しく包み込んでいく。このラグは、ヒロキが最後に出演した映画の撮影で使用されていたものだ。彼は事故の後、それを譲り受けた。思い出の品として、そして新しい人生の始まりの象徴として。
「美咲は変わらないね。いつも正直で、優しい」彼は微笑んだ。その表情には、かつての輝きとは異なる、穏やかな温かさがあった。
私たちは昔のように、仕事の話に花を咲かせることはない。代わりに、日常の些細な出来事や、心に浮かぶ想いを、ゆっくりと語り合う。時には沈黙が訪れても、それは決して居心地の悪いものではなかった。
「たまに思うんだ」ヒロキが言った。「あの事故がなければ、今でも演技を続けていただろうか。でも不思議と、後悔はないんだ」
夕日が少しずつ沈んでいく。部屋の明かりはまだつけていない。薄暮の中で、私たちの影が長く伸びていく。
「私も後悔していない」私は静かに告げた。「あの頃は忙しすぎて、こうしてゆっくり話す時間なんてなかったもの」
ラグの上で、私たちの距離は少しずつ縮まっていく。かつては芸能界という華やかな世界で、それぞれの立場で懸命に生きていた。今は、そんな日々を優しく包み込むような穏やかな時間が流れている。
「美咲」ヒロキが囁くように言った。「ずっと言えなかったことがある。あの頃から、君のことが…」
その言葉は、途中で途切れた。でも、私には分かっていた。彼の気持ちも、そして私自身の気持ちも。
外は完全に日が落ち、星々が瞬き始めていた。部屋の中は、街灯の柔らかな明かりだけが差し込んでいる。このラグの上で、私たちは新しい物語を紡ぎ始めているのかもしれない。
華やかな舞台を降りた後も、人生には意味がある。むしろ、本当に大切なものが見えてくるのかもしれない。ヒロキの横顔を見つめながら、私はそう感じていた。
「もう少しここにいてもいい?」私は小さな声で尋ねた。
「ああ、ずっといてほしい」彼の返事は、心からの願いのように聞こえた。
このラグの上で過ごす静かな時間は、かつての喧騒とは違う幸せを私たちに教えてくれている。それは、ゆっくりと、でも確実に、私たちの心を癒していくのだった。
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