窓から差し込む柔らかな陽光が、リビングの床に優しい影を落としていました。和室からリビングに模様替えをして早10年。畳からフローリングに変えた時、真っ先に購入したのが、今私たちの足元で温もりを届けてくれているこのラグでした。
私と夫は共に70代後半。長年連れ添った二人の日課は、このラグの上でお茶を飲みながら過ごす午後のひとときです。今日も夫は、お気に入りの藍色の座椅子に腰かけ、私は向かい合うように座って、静かな時間を共有しています。
「このラグ、もう10年になるねぇ」
夫がふと呟きました。確かに端の方は少し色褪せてきていますが、まだまだ心地よい肌触りは健在です。思えば、このラグの上で、子どもたちの結婚の話をし、孫たちが最初の一歩を踏み出し、数えきれない思い出が刻まれてきました。
お茶を啜りながら、私たちは日々の些細な出来事を語り合います。今朝の新聞に載っていた懐かしい商店街の記事のこと、近所にできた新しいパン屋さんのこと、先日電話で話した娘の近況など。特別な話題でなくても、二人で共有する時間は温かな空気に包まれています。
「最近の若い人は、こういう時間の過ごし方を知らないのかもしれないねぇ」
夫の言葉に、私もゆっくりと頷きます。確かに、今の時代は忙しなく、ゆっくりと誰かと向き合う時間を持つことが難しくなっているのかもしれません。でも、私たちにとってこの穏やかな時間は、何物にも代えがたい大切な宝物です。
ラグの上に置いた急須からは、まだ温かい緑茶の香りが立ち昇っています。夫が「もう一杯どう?」と声をかけてくれる度に、私は嬉しい気持ちになります。年を重ねても変わらない、そんな優しい気遣いが、日々の暮らしを豊かにしてくれているのです。
時には黙って外を眺めることもあります。季節の移ろいを感じながら、二人で同じ景色を共有する。言葉を交わさなくても、この静けさの中に確かな絆を感じることができます。
このラグは、単なる床敷物以上の存在です。私たちの人生の一部となり、日々の暮らしを優しく包み込んでくれる特別な場所。子どもたちが訪ねてきた時も、このラグの上で家族団らんの時を過ごします。孫たちが元気に走り回る姿を見ながら、夫と顔を見合わせて微笑むのです。
「来週は庭の草花の手入れをしないとね」
「そうね、二人でゆっくりやりましょう」
これからの予定を話し合うのも、このラグの上での楽しみの一つです。大きな計画を立てることは少なくなりましたが、二人で過ごす穏やかな日々の中に、確かな幸せを見出しています。
時計の針はゆっくりと進み、夕暮れが近づいてきました。そろそろ夕飯の支度を始める時間です。私が立ち上がろうとすると、夫が手を差し伸べてくれます。年を重ねた二人を、ラグはそっと見守ってくれているようです。
このラグは、私たちの人生の証人であり、語らいの場所。これからも、二人の大切な思い出を刻んでいってくれることでしょう。夕暮れのリビングに、穏やかな時間が流れていきます。
日々の暮らしの中で、このラグの上での時間は特別な意味を持っています。朝には新聞を広げ、昼にはお茶を飲み、夕方には一日の出来事を語り合う。そんな何気ない日常の積み重ねが、私たちの幸せを形作っているのだと思います。
時には懐かしいアルバムを広げることもあります。写真を見ながら、若かった頃の思い出話に花を咲かせる。「あの頃は本当に忙しかったねぇ」と夫が言えば、「でも充実していたわよね」と私が返す。そんな会話を重ねながら、私たちは自分たちの歩んできた道を振り返ります。
季節の移り変わりも、このラグの上で感じています。春には窓から桜の花びらが舞い込み、夏には風鈴の音を聴き、秋には紅葉を眺め、冬には炬燵を出して温まる。四季折々の風景と共に、二人の時間は優しく流れていきます。
「このラグ、まだまだ大丈夫そうだね」
「ええ、私たちと一緒に年を重ねていくのね」
夫婦の会話に、温かな笑みがこぼれます。このラグは、私たちの老後の暮らしに寄り添い、心地よい空間を作り出してくれています。これからも、このラグの上で過ごす穏やかな時間が、私たちの宝物であり続けることでしょう。
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