休日の午後、リビングに置かれた大きなラグの上で、私たち家族は穏やかな時間を過ごしていました。ふわふわとした肌触りのラグは、まるで雲の上にいるような心地よさで、自然と家族の距離を縮めてくれます。
「ねぇ、パパ、今日の夕ご飯は何がいいかな?」と妻が私に尋ねます。その声は優しく、まるで春の風のように心地よく耳に届きます。10歳の息子と8歳の娘は、ラグの上でそれぞれお気に入りの本を読んでいましたが、食事の話題に興味を示し、顔を上げました。
「うーん、そうだなぁ。今日は皆でお味噌汁を作ってみない?」私が提案すると、子供たちの目が輝きました。「わぁい!私、お豆腐を切りたい!」と娘が嬉しそうに声を上げます。「僕は玉ねぎを切る!…でも、涙が出ちゃうかな」と息子が少し心配そうに言いました。
妻は優しく微笑みながら、「じゃあ、まずはもう少しここでゆっくりしてから始めましょうか」と提案します。確かにその通りでした。このラグの上での時間は、何物にも代えがたい特別なものです。家族それぞれが好きなことをしながらも、同じ空間を共有している。その心地よさは何とも言えません。
息子は理科の図鑑を広げ、「ねぇ、パパ、この昆虫知ってる?」と質問を投げかけてきます。娘は折り紙で鶴を折りながら、時々母に折り方を確認しています。そんな何気ない会話と動作が、温かな空気を作り出していきます。
窓から差し込む午後の陽光が、ラグの上で温かく私たちを包み込みます。季節は秋から冬へと移り変わろうとしていましたが、このリビングの中は、まるで永遠の春のような穏やかさに満ちていました。
「あ、見て!できた!」娘が完成させた折り鶴を高く掲げます。その達成感に満ちた表情を見て、自然と家族全員が笑顔になります。「すごいじゃない!お姉ちゃん上手だね」と息子が素直に褒めると、娘はさらに嬉しそうな顔を見せました。
このラグは、私たちが新居に引っ越してきた時に最初に買った家具の一つでした。当時はまだ息子が4歳、娘が2歳。二人とも歩くのもおぼつかない頃でした。それから6年、このラグの上で子供たちは転んで泣いたり、笑ったり、時には兄妹げんかをしたり。そんな思い出が、このラグの一本一本の繊維に染み込んでいるような気がします。
「そうだ、写真を撮ろう」と妻が提案します。スマートフォンのセルフタイマーをセットして、私たち4人はラグの上で寄り添います。「はい、チーズ!」という掛け声と共にシャッターが切れる瞬間、私たちの笑顔が永遠に記録されました。
時計を見ると、もう4時を回っていました。「さぁ、お味噌汁の準備を始めましょうか」と妻が立ち上がります。子供たちも「やったー!」と元気よく飛び起きました。台所から聞こえてくる賑やかな声、まな板を叩く音、野菜を洗う水の音。それらが全て、この家の大切な音楽となっています。
ラグの上に一人残された私は、ふと考えます。人生の幸せは、こういう何気ない日常の中にこそあるのだと。家族と過ごす穏やかな時間、共に作り上げる温かな空間。それらは決して派手なものではありませんが、かけがえのない宝物です。
やがて台所から「パパも手伝って!」という声が聞こえてきました。私はゆっくりとラグから立ち上がり、家族の待つ台所へと向かいます。このラグの上での団らんは、また明日も、明後日も、そしてその先も続いていくことでしょう。それは私たち家族の、かけがえのない日常の一コマとして。
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